気づきの言葉
□質問
もし私が自分の嫉妬に気づけば、嫉妬は消え去るのでしょうか?
■バガヴァン
はい、そうです。
気づきがあるとき、このエネルギーは嫉妬を破壊します。
なぜなら、気づきによって、
嫉妬が利益をもたらさないことが分かるからです。
実際、嫉妬は皆さんをきつく締めつけています。
皆さんのエネルギーを浪費しています。
皆さんは、有能なビジネスマンですから、
自分に有利ではないとわかれば、相手にとって不利になるようなことをするでしょう。
皆さんが嫉妬に気づけば、それがいかに人間関係を壊し、
エネルギーレベルを損ねているかが、とてもはっきり分かります。
皆さんにとって、何も都合のいいことはないのです。
それを見れば(それが分かれば)、皆さんは自由です。
ですから、私がいつも話しているように、
そこには時間も必要なければ、努力も必要なければ、エネルギーも必要ないのです。
私がいつも取り上げる話しとして、ロープを蛇と間違える例えがあります。
最初、皆さんは恐怖におののいています。
そこへ突然誰かが明かりを持ってきます。
明かりに照らされて、それがロープであって、蛇ではないことが分かります。
この明かりが気づきなのです。
気づきがあるとき、「何だ、ただのロープだ。」と分かります。
その瞬間、恐怖は消え去ります。
時間もかからなければ、エネルギーも使わなければ、努力もいりません。
同様に、怒りや嫉妬があるとき、気づきは懐中電灯のようです。
懐中電灯をつければ、正確にそれが一体何なのか、その原因は何なのかが分かります。
そして、それがストーリーを話し始めます。
そしてその嫉妬に関して、完全な真実が分かるでしょう。
いったんその真実が分かれば、
嫉妬がいかに自分を破壊しているかが分かり、
たちまち嫉妬は消えてしまいます。
なぜならマインドは、役立たないことは何もしないからです。
それが、私が皆さんに、時間もエネルギーも努力も必要ないといっている理由です。
必要なのは気づきです。
この気づきは、ちょっと練習すれば得られます。
それは、ちょうど自転車や自動車の運転を習ったり、音楽を習ったりするのと同じです。
特別な行法が必要なわけではありません。
それは、学校で教えられるようなことですし、
もし、皆さんが自分の子供に教えれば、あっという間に覚えてしまうようなものです。
残念なことに、私たちの社会ではこのことを教えませんし、
これが分かったときには、かなり年をとっていて遅すぎるのです。
それはちょうど、ある種の技能は、年をとってからではなく、
若いときに学ばなければいけないことと同じです。
ですから、これは特殊技能のようなものです。
技能が身に付けば、少しずつですが、
とても自然にしかも簡単に身に付いていきます。
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□質問
人間関係を扱うことについて、
あるいは、人に対して安心のより所を置くことについて、
悟っていない人は、どのように立ち向かっていかなくてはならないのでしょうか?
人間関係の中でうまく安心感を保つのに、どのようにしたらいいのでしょうか?
■バカヴァン
皆さんが知っているように、私たちには二種類のやり方があります。
ひとつは悟った人のためのもの、
もうひとつは悟っていない人のためのものです。
悟った人には、教えは必要ありません。
なぜなら意識状態が自動的に彼を導きます。
悟っていない人には、私たちは「自分自身でいて下さい」「どんな自分であろうと、そのままでいて下さい。」と言っています。
例えば嫉妬についてです。
私は何度も何度もこのことを繰り返しお話ししています。
なぜなら、これは最もよくある一般的なことだからです。
今もし、皆さんが悟っていないなら、「自分」があります。
「自分」があれば、比較が始まります。
なぜなら、比較することは「自分」が生き残る手段からです。
そして比較のあるところ、嫉妬が始まります。
さて、問題が始まるのは、「嫉妬してはいけない。」と皆さんが思ったときです。
つまり、皆さんは「嫉妬のない状態にならなければならない」などと、いつも目の前に目標や理想を掲げます。
これこそが問題の始まりなのです。
嫉妬から嫉妬のない状態へは移ることはできません。
嫉妬の何が問題でしょうか。
自分があれば、嫉妬があって当然です。
これが唯一の真実です。
今、皆さんが嫉妬から逃れようとせず、嫉妬を非難せず、自然にあるものだと受け入れるなら、不思議なことが始まります。
つまり、闘いが終わるとき、喜びが始まるのです。
ですがその喜びは、悟った人の喜びとは違うものです。
まったく違う喜びです。
この二つを比較しないで下さい。
ここで言う喜びとは、悟った人の喜びとは異なる種類の喜びです。
ですが、悟りまで行かなかったとしても、ある程度心の開花があり、人生はとても素晴らしいものになります。
つまり、単に自分自身のままでいる状態です。
ここでは、深淵で偉大で根本的なものを意味して話しているわけではありません。
「自分のままでいて下さい」と私たちは言っていますが、そのような深淵な意味はありません。
つまり単に、そのままの自分を受け入れると言うことです。
そうです。
皆さんは怒りがあることが自然なのです。
嫉妬があって自然なのです。
暴力的であって自然なのです。
それが生(なま)の自分なのです。
皆さんはそれを変えられません。
それがハプニングとなって皆さんに生じなければなりません。
変わろうとするどんな努力も、問題を作るばかりです。
それは問題を複雑にし、さまざまなトラブルの原因になります。
皆さんはそこで真実を見落とします。
ですから、変わろうとするのではなく、
むしろ嫉妬や心配、恐れを抱きしめ、恋してみて下さい。
そうしたら何が起こるかを見て下さい。
やってみて下さい。
何がどうやって起こるかなど考えずに、とにかくやってみて、見てみて下さい。
何か驚くべきことが起こるでしょう。
それは悟りにまでは導かないかもしれませんが、
それでも確実に、皆さんをとても素晴らしい状態へと導きます。
ですから同じように、皆さんは、
自分が安心感を必要としているという事実も受け止めなければなりません。
皆さんは、父母、兄弟、妻、夫、恋人、自分の知識や富や権力などから安心感を得なければなりません。
どんなものからでも構いません。
ここで私たちが、この手法の中で提案したい大切なことは、
皆さんが安心感を得ていく中で、安心のより所をうまく配分すべきだということです。
ひとつのバスケットに卵を全部入れてはいけません。
父や母、恋人、誰でも構いません。
あるいは学歴でも美貌でも、何でも構いません。
安心のより所をいくつかに配分すべきなのです。
これは安心感というものに対しての上手な取り組み方です。
もし皆さんが悟っていないのなら、安心感が必要なのです。
皆さんは、隙だらけになるべきではないのです。
逆に、自己を無くした人は自ずと隙だらけです。
なぜなら、その人にとって保護するもの、守るものは何もないからです。
つまり自己・自分がないからです。
逆に、もし皆さんにまだ自己があるなら、抜け目なく、現実的に自分自身を守らなければなりません。
自分の安心のより所を創り出さなければなりません。
そして、そのベストな方法は、安心のより所を配分することです。
卵をいくつかのバスケットに配分します。
これが皆さんのすべきことです。
そしてもし、そこに関わっている相手が、あまりに移り気な人なら、少し注意すべきです。
もし彼が浮気心を見せ始めたら、皆さんの側でこの人間関係を終わらせる覚悟をしなければなりません。
そして他の誰かに乗り換え、しがみつくべきです。
これをうまく実践すべきなのです。
ですから悟っていない人、悩んでいる人がやって来たとき、私たちの対応はまったく違うのです。
そういった人たちに、ここでプロセスを受けて下さいとは言いません。
私たちはただ会話をし、安心のより所を再配分するだけです。
そうすればその人はとても幸せになって帰っていきます。
これは二つのレベルで働きます。
若者に話す場合、自己が解放されること、隙だらけになること、愛を発見することなど、そういった内容には言及しません。
そんな話しはしません。
私が話すのは、シンプルな愛の発見です。
つまり、恋することを話し、私たちはそのお手伝いをします。
もう一方で悟りたいと思っている人たちには、彼らの愛を高めていきます。
これら二つは別々のものです。
愛と言っても異なるものです(訳注:愛と恋)。
ですから、皆さん(訳注:青少年向けコース参加者を指す)の場合、私の祝福は、皆さんが恋するのを助けます。
今日、人々は恋することさえ難しそうに見えます。
だからこそ、私たちはそれを助けているのです。
なぜなら、それは皆さんが必要としているものだからです。
そしてもし、皆さんが本当に恋に落ちるなら、本当に嫉妬するなら、本当に欲深くなるなら、どうなるでしょうか。
私からはっきりお伝えしましょう。
そういった人こそ、遅かれ早かれ悟りに至ります。
逆にもし皆さんが、「いえいえ、私は嫉妬はしません」「自己中にはなりません」「私はとても素晴らしい人間です」などと、ゲームを続けていく限り、つまり、悟っていないのに悟った人のように振る舞っている限り、哀れな人間です。
あらゆる生き地獄を味わい、惨めな人生になるでしょう。
それとは逆に、「私は、悟りを得ていません。これが私の性格です」「これが私です」というスタンスを取ってみて下さい。
それの何が悪いのでしょうか。
そのまま生きて下さい。
そのときこそ、皆さんはたくさんの幸せを発見するでしょう。
私は、高い幸福状態について言及しているわけではありません。
そこまで行かなくても、たくさんの幸せがあります。
ある種の愛と喜びがあります。
こういったすべてのものが皆さんに訪れます。
このようにして生きるべきなのです。
これこそが悟りへのベストの準備方法です。
私たちのもとにはよく、世間的に不健全だとか堕落していると呼ばれている人たちがやって来ます。
私たちが「プロセスに参加しませんか?」と訊ねると、彼らから「何か楽しいものがあるのかどうか教えて下さい」などと問い掛けられます。
それで私たちは彼らに問い返します。
「言い換えるとそれはどんな意味ですか?」と。
完全に堕落した彼らはこう訊ねます。
「何か不便なことはないですか?」と。
さらに「何日間、禁煙を守らなければならないのか?」、「何日間禁酒を守らなければならないのか?」、「その間に飲酒はできるのか?」などと。
そんな風に一見彼らは実にひどい人々に見えるでしょう。
しかし、私から言わせてもらえば、彼らはとても早く悟れます。
なぜなら彼らはとても素直だからです。
彼らはまさにありのままです。
彼らは努力なしに悟れます。
皆さんはきっと、それを見て唖然とするでしょう。
その逆で、善行を実践し、美徳を養おうとしている独善的な人たちはどうでしょうか。
善行や徳というものは、自然にそこにあるべきです。
もし皆さんが美徳を養っている限り、それは悪徳だと私は思います。
皆さんが知ってのとおり、美徳を養うことは実にひどいものです。
なぜなら、皆さんはまったくそうでないのですから。
好きでもない相手に、皆さんは笑顔を振りまき、とても優しく対応します。
知ってのとおり、それはものすごい重荷です。
皆さんはすごく嫌いな相手に対して「あなたのことをこんなに愛しています」と言い続けています。
皆さんは心地よいですか?
皆さんは本当のところどちらなのでしょうか?
皆さんのバックグラウンドが嫌悪感であれば、それはとても難しくなります。
他方、もし皆さんが弱い者いじめで、「お前が憎い」と言って、相手に喧嘩を売るような人なら、その人は恐らくよりふさわしい悟りの候補者だと私は思います。
なぜなら、その人は真実を話しているからです。
ですから、自分自身に真実でいて下さい。
すると不思議なことに自分が良い人間になっていくのに気づくでしょう。
ここで「良い」という言葉の意味は何でも構いません。
そこに葛藤はありません。
ある種の愛が自然に育ちます。
たくさんの素晴らしいことが始まっていきます。
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Oneness on the earth vol.2 (有)カルキ・センタージャパン発行より 抜粋


