陰徳
ネット上で見かけた文章ですが、紹介してみます。
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◆ 陰徳積みのお奨め
「あなたは施しをする場合、左の手のしていることを右の手に知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう」 (マタイによる福音書)
○「言葉の項」
今から二十五年程前に大阪中之島の図書館で、中国の唐の時代の陰徳に関する文章を見たことがあります。
その中に人の善を言うことは陰徳であり、反対に人の悪口をしゃべることは過悪であると書かれてありました。
その後、良く注意しておりますと、その事実のある無しにかかわらず、他人の悪口を常に平気で口にする男子であれば出世の出来ない人であり、それが女子なれば、夫の出世のさまたげとなり、また未亡人なれば人々がその人とつき合いするのを嫌がられる立場の人となるということが分りました。
竹谷は、墓地に立ち入りしましても、その墓の施主の運命について良いことは言っても悪いことは言わない。また、他の墓相家が指導された墓の相については、一切ノーコメントを守っております。昭和十三年ごろのこと、京都市仁王門のある寺へ行った時、そこに○○氏指導の吉相墓というのがあった。同行者に自慢らしくその墓の施主の現在の状態をおしゃべりした所、同行者はその施主の家庭を知っている為に驚きの目をみはって聞いておられました。午後の三時ごろ、伏見の宅へ帰って一時間程経ったころ、家族の者が、二階から落ちて背骨を打ち一ヵ月程入院したことがあります。
図書館にて、言葉の陰徳や過悪という文書を見た数日後のことで今更の様に言葉の過悪の恐ろしさに驚いたことがあります。
調子の低い人でいつもにこにこし、人の悪口を言わない人は必ず事業に成功すると昔から言われているのも、万更空文ではありません。
人の悪口を言ったからと言ってその人の身分が良くなるではなし、かえって聞く人に悪感情を抱かせる場合が多いものです。
むやみと批判したり悪口を言うことは慎しみましょう。
○「金銭の項」
金銭の陰徳で一番注意しなければならないことは、他人の借金保証引き受けの印を押すことであります。
自分が現金でその借金を全部支払いするだけの予備金のある人は別、
予備金のない人が泣きつかれて保証印を致しますと、一回、二回は都合良く行っても、三回目には保証のため自分の今住んでいる家も売らねばならないことが世間に数多く常に起っております。
誠に借金の保証印は過悪中の過悪であります。
神社や寺の修繕に寄付金を出すことは、陰徳積みでありますが、
新しく建立する(古いのを解体して新しく造るのは別)新設に寄付を出すことは陰徳にならない。
また寄付金は無名で寄付すべきもので、本名を出して寄付すべきものではありません。
本名でなかったならば受け付けない相手ならば、寄付金を出さない方がよろしい。
また、生活困難者に無記名で寄付するのは陰徳になりますが、
特定の人のみ、例えば、兄弟とか親類の人とかにいつも金銭を贈与するのは過悪となります。
金銭を勝負事に使用することもまた、過悪であります。
神社や寺の修繕をするための寄付金は断ってはならない。
その額が多ければ、少しにしてでも出して下さい。
職業とする乞食に金や、物を与えることは陰徳ではなく、過悪になります。
○「無形の項」
旅館に宿泊して、夜中あかあかと電灯を付けている人があります。
電灯代は旅館経営者が支払いするため平気で、むしろ電灯を使用しなければ損だと言う考えだからでしょうか。
室内の不要な場所でも、電気をあかあかと付けたままで寝る人がいます。
実にもったいない話しです。
旅館に限らず、夜通し電気を付けている人を見受けますが、
もったいないことであると共に、泥棒に這入られやすい家の様に思われます。
ある新聞に、夜の盗難避けは室内を暗くし、家の周囲を明るくすることは、泥棒避けの一つの方法である、
と書いてあったのを、見たことがあります。
竹谷の知っている所で、三方道路になった大邸宅があります。
その邸宅はたくさんの個室が有る様子です。
そのうち数個の個室には夜通し電灯がついてあかあかとしておりますが、
屋敷外の三方の道路は夜になると、まるでタヌキでも出そうな暗さです。
また、一年に数回は夜ふけに婦女子がキャット大声を上げるのを聞きますが、
暴漢におそわれたか、暗いので何かに驚いた声でしょう。
これ程、御立派な屋敷なれば、室内の電灯を半分に減らして、道路と広い庭さき兼用に、せめて午前一時ごろ迄でも外灯をお付けになったならば、大衆の人は、まして婦女子は安心してその道を通ることが出来ます。
しかもその電灯代は別にたくさん支払う必要のない電力です。
さき程から述べましたように、電灯に限らず他人のものだから無駄使いをしたり、
只だからといって暴飲暴食したりすることは、その人の徳をなくすることになります。
◆ 運をつける生き方「陰徳」を語る
オリンピックのファイナリストには実力差はないが、運の強さの違いはある。
田口信教という水泳選手を知っていますか。
1972年オリンピック、ミュンヘン大会、平泳ぎの代表選手です。
100メートル男子平泳ぎで金メダル、200メートル男子平泳ぎで銅メダルをとりました。
以前、先生は田口選手の講演会で話をお聞きしました。
田口選手は次のように言います。
「オリンピックのファイナリストになれば誰が金メダルになってもおかしくはない。実力の差はない。しかし、金メダルになる人間は、いつも金メダルになる。そして、8位になる人間はいつも8位である。実力差はないのに、不思議とこうなる。実力以外の何かが、そうさせるとしか考えられない。」
また、次のようにも言います。
「金メダルと銀メダルでは、天と地ほどの差がある。一般の人にはわからないと思いますが、たとえば、日本で一番高い山は富士山ですよね。では、2番目に高い山は? 世界で一番高い山はエベレスト山です。では、2番目に高い山は? このように、1番と2番では違うのです。世界一位と世界二位では、有名さも、その後の経済活動などにも差が出てくるのです。それで、オリンピック選手は金メダルを目指します。しかし、本当に「運」としかいいようのないことが起きるのです。ゴールのタッチが爪の差で、金メダルと銀メダルに決まってしまうことも、たくさん見てきました。」
さらに言います。
田口選手が実行した運を強くする方法
「そこで、オリンピック選手になってから、どうしたらこの「運」というものを身につけるのか考え、実践しました。
そして、金メダルをとったのです。」
田口選手は、どのようにして運をつけてきたのでしょうか。
彼は、オリンピックの代表選手の合宿所の生活のことを話してくれました。
それは一言で言えば、「善い行いをする」ということです。
ただし、田口選手がすごいのは、ただ善い行いをするのではなく、人に知られないように善い行いをするということだったのです。
彼は、毎日、誰にも知られないように、合宿所の皿洗いを続けたそうです。
合宿所のおばちゃんに見られそうになっても、うまくごまかしました。
それから、落ちているゴミも人に知られないように拾ったそうです。
まわりをキョロキョロしながら、人に知られないようにサッと拾ったそうです。
このようなことを昔から次のように言います。
陰徳(と黒板に書く)
「いんとく」と読みます。陰はかげです。徳とは善い行いのことです。
つまりは、人に知られない善い行いのことです。
先生はこう思います。同じ善いことをするのなら、人に知られないほうがいい。
なぜか?
人に知られた善い行いのご褒美は人から来ます。
「ありがとう」と言ってもらって場合によっては、御礼の品も受けますよね。
人から直接ご褒美をもらったので、そこでお仕舞いです。
しかし、陰徳を積めば、ご褒美はおてんとう様から来ると思うのです。
陰徳は人が知らないので、人からはご褒美はもらえません。
だから、おてんとう様が、その人の「運」として貯金してくださると思うのです。
◆ 隠徳
体の健康と心の健康、幸せで健康に暮らすには、自分の身近な人たちを思う心を持つことだと私は考えます。
「してやっているのに・・・」
私たちの生活に欠かせないのが日々の食事です。毎食毎食経済と相談しながら献立を考え、買い物をし、料理をする。これが延々と続くのですから奥さんは大変です。
私は若い頃、主人と夕方同じ時間まで働いているのに、主人はテレビを見て、私は休む間もなく夕食の準備。食事が終われば、また私が後片付けです。
「とても割に合わない」と、どれほど思ったか知れません。
その上、当時は「美味しいね」とか「大変だったね、ご苦労さん」等の言葉も掛けてはくれませんでした。
また、男性の立場に立ってみますと、家族のことを思って一生懸命働いて得た給料も銀行振り込みのせいか「お父さんのおかげで生活させて頂けます」「お父さん、今月もお疲れ様でした。給料を使わせて頂きます」等の感謝や慰安の言葉がとんと少なくなったと聞きます。
私の家では毎日母が洗濯をしてくれますが、以前は「毎日毎日お世話になります」「ありがとうございます」とは、私も言っておりませんでした。
母が皮肉たっぷりに「お礼も言わずによく着られるものだ」と言ったことを思い出します。
その母がこの頃では「洗濯させてもらってありがたいことだ」と言うのです。
何が変わったのでしょうか。
モラロジーで『陰徳』ということを教わりました。
私たちは生まれてから今日まで、育ててもらい、着せてもらい、教育してもらい、親からも社会からもお世話になりっぱなしの人生です。
その上腹を立てたり、人を言葉で傷つけたりしています。これらを合わせたものが『道徳的な借財』となると言われています。
「借りを返すと幸せが」
よりよい人生を歩むには、この借財をいかに返すかが問題です。
「借財を返させて頂きます」という謙虚な心で、人知れず行動することが『陰徳』となり、価値ある行いになります。
陰徳を積み借財の返済が出来、道徳的借財の少ない人ほど運命の良い人、幸せな人としてよりよい人生を歩むことが出来ることになるのです。
誉めてもらいたい。認めてもらいたい。良く思われたい。分かって欲しい。してやっている。等の心でする行為はどんなに人に親切にしようと、どんなにお世話役を勤めようと、またどんなに大金を寄付したとしても、何れも『陽徳』となり、苦労の割には効果 が少なくなってしまいます。
例えば、料理を作るにしても、
(1)「皆に美味しく食べてもらいたい。明るく健康でいて欲しい」と、心を込めて料理を作る。
(2)「うちのお嫁さんはよくやってくれる」と言われたい。
(3)「こんなに大変なのに、美味しいともありがとうとも言わないなんて、何で私ばかりが」と、不平不満で嫌々ながら料理を作る。
これらは作る姿は同じでも、
(1)は大きく陰徳を積むことが出来、他は苦労したにも関わらず陽徳となってしまい、効果が少なくなってしまうか、場合によっては不徳を積んでしまうことにもなりかねません。
陰徳とは、なるべく人に気づかれないよう、相手の負担にならないよう心を配り、
その心遣いは「借りを返させてもらう。させて頂く」心でするものと言えるでしょう。
人知れず陰徳を積むことが出来るようになれば、心が穏やかで、楽しく幸せな暮らしが待っています。


