おまえはおまえでちょうどよい


「全託」の世界。
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お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓もお前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も息子の嫁もその孫もそれはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない死ぬ日月さえも丁度よい
仏さまと二人連れの人生丁度よくないはずがない
これでよかったと頂けた時億念の信が生まれます

南無阿弥陀仏



この「お前はお前でちょうどよい」という言葉。
この言葉は、一婦人の信仰的自覚の言葉ですから、その人においては生き生きとした告白であっても、それを聞く私共が無自覚な形で聞いてしまったら、とんでもないことになる。(そのまま悟り)
自覚の言葉を、凡夫が無自覚に(そのままに)聞いてしまったら、外道語になります。
それこそ、「何でも丁度よい」で、あきらめムード、肝心の歩みが出ないことが致命傷になります。
そこで、このご婦人が、なぜこう云う言葉を綴ったか聞いてみたいと思います。



嘆き

両親ほど、うっとおしいものはない
だから私は早く離れたかった
兄弟ほど、うるさいものはない
だから私は逃げまわった
子供ほど、やっかいなものはない
だから私は早く一人立ちして欲しかった
夫ほど、平凡で薄情なものはない
だから私はよその芝生がよく見えた
姑ほど、邪魔なものはない
だから私はいない方がよいといつも思った
男ほど、自分勝手なものはない
だから私は軽蔑した
女ほど、愚痴っぽいものはない
だから私は嫌いだった
知識者ほど、邪見なものはない
だから私はその言葉が信じられなかった
お金ほど、私を縛るものはない
それなのに私はお金が大好きだった
一番最後に、大嫌いなものは自分自身だった
こんなことしか思えない自分自身だった
生きている価値のない自分だと思っていた
それは、何の夢も希望もない真っ暗な地獄をはいずり回っているような気持ちだった
死ぬに死なれず生きるに生きられず斜にかまえた捨て鉢の人生
そこに聞こえた仏の真言

「汝、わがはからいを超えたいのちを
今そこで生きよ、とてかく生かしめられている私
人間は生きているだけで尊いのだ」

光といのちを蔵したこの言葉に遇わせていただいて、目が覚まされた
私がどうこう変わったわけでもないが
それ以後、私の中の八万四千の煩悩と仲良くつき合っていけそうな道が見つかりました
それは細い細い道ではあるが
人さまの煩悩とも徐々に仲良くつき合っていけそうな道が見つかりました
それは遠い遠い道のような気もするが

ありがとうございました

南無阿弥陀仏

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