気づきのプロセスについて
この項、作成中です。しばらく時間掛かりそうです。
観察(気づき)→理解(洞察)→変容(問題からの開放・自由)というプロセス
(自分の心理的/肉体的問題への)気づき(観察)→洞察(理解 insight)→変容(問題の自己変容・自己変貌・自己消散・自己解消・自己消失、問題が問題でなくなること、問題でなかったことに気づくこと)と云うプロセス。
☆ グリーンヒルの地橋先生の言われる、「気づき→観察→洞察」と云う説明と比較した場合、私は「気づき」と云う言葉の中に「観察」も含めていることになります。「気づき(観察)→洞察」
また、これは(分ければ3つであるが)、まとめれば、一つのもの・ことでもある。同時に成立する。
観察は、「そのモノ(対象)を、これまでと違う仕方で観る」という意味において、理解(洞察)=(物事が違う形で立ち現れること)を既に孕んでいる。
理解(洞察)=ある物事が、それまでと違うモノとして認識されること=即、変容でもある。
よって、「観察」=即、「理解(洞察の成立)」であり、それは、即、そのまま「変容」である。
この「観察・理解・変容」のプロセス全体を「気づき」という言葉で表現することもできる。
気づきによる、洞察・変容(浄化・開放)
また、話の文脈によっては、「気づき」と云う言葉で、
1. (観察)=気づき、を表わす場合もあり、
2. (気づき→洞察)=気づき、を表わす場合もあり、
3. (気づき→洞察→変容)=気づき、を表わす場合もあります。
更に、「気づき=観照者意識=純粋意識=ハイアーセルフ(と言われるもの)=意識」であり、すべては「気づき」であり、「意識そのもの」である、と云うこともできます。
また、「気づき意識」とは、「洞察モードで働いている脳の状態」であり、この「洞察モードで働いている脳」を、「日常モードで働いている脳=自我=私」が、自分とは別の一つの人格体として認識したとき、ハイアーセルフとか、チャネリングの宇宙人とか、内なるグル(内なる師)として、「他者」「超越者」として私に経験されます。


